高円宮賜杯第44回全日本学童軟式野球大会マクドナルド・トーナメントの準々決勝。駒沢公園硬式野球場では、前年度優勝の大阪・新家スターズと、東京第2代表の不動パイレーツが勝利。両チームは昨夏の決勝で戦っており、1年ぶりのリマッチが準決勝で実現することに。新家は2回戦から関東勢に4連勝も、千葉の盟主・豊上ジュニアーズが先制攻撃と勝負手で王者をグラつかせた。
(写真=福地和男)
(取材&文=大久保克哉)
準々決勝
◇8月20日 ◇駒沢球場
■第2試合
前年覇者、気付けば大差の逆転勝ち
新家は八番・今西海緒が3安打3打点の活躍で、4回の2点中前打が決勝打に(上)。豊上は絶好調の四番・高橋嶺斗が初回に3ラン(下)など4点を先取した
[大阪]3年連続4回目
新家スターズ
034130=11
400001=5
豊上ジュニアーズ
[千葉]2年ぶり5回目
【新】庄司、山田-藤田凰、庄司
【豊】桐原、加藤-岡田
本塁打/高橋(豊)
三塁打/福井(豊)
二塁打/藤田凰、庄司、西浦颯(新)
1回裏、豊上は一番・福井陽大(5年)が三塁打と野選で生還(上)。なお、無死一、二塁で四番・高橋がセンター方向へ大会1号アーチ(下)
新家は2回表、四番・庄司七翔の左前打から一死満塁として八番・今西の犠飛(上)でまず1点。さらに一番・山田拓澄の中前打(下)で3対4に迫る
3回表、新家は三番・藤田凰介主将(上)と、四番・庄司の連続二塁打(下)で4対4の同点に
3回表、豊上はバッテリーミスで4対5と逆転されたところで髙野範哉監督がタイムを取る(上)。しかし、新家が今西の中前打で7対4。4回表には五番・松瀬吟愛(下)のタイムリーで加点
4回は互いの守りが光った。豊上は二盗阻止(上)、新家は6-4-3の併殺を奪う(下)
新家は5回、二番・西浦颯馬が満塁の走者を一掃する二塁打(上)でダメ押し。豊上は最終6回、途中出場の5年生・中尾栄道の二塁打(下)で5点目が入る
3回途中から救援した新家の山田が4安打1失点、無四球の好投で準決勝進出を決めた
――Good Loser❶――
絶対王者を急襲でグラリ。
全国8強に名将「でき過ぎ」
とよがみ豊上ジュニアーズ
[千葉]2年ぶり5回目
ベスト8
過去に2つ手にしているメダルへはあと一歩届かなかったが、「千葉に豊上あり!」を改めて知らしめる夢舞台だった。5・6年生チームの指揮官に復帰1年目の髙野範哉監督は、ベスト8という結果に「でき過ぎですよ!」と振り返った。
「全国は5回目でしたけど、過去にこんなにも力のないチームはなかったですから。NPBジュニアのセレクションも二次選考までにみんな落ちてるし、レベルの高い選手が1人もいない。それが全国で3つ勝ってベスト8ですから、成績には大満足。子どもたちを褒めてやりたいですね」
躍進と言っていいのだろう。その原動力は、戦力の底上げと個々の成長だ。福井陽大、神林駿采ら有力な5年生たちが全国予選から加わって活躍を始めたことで、6年生たちの尻に火がついた面も大いにあるだろう。
変則左腕の桐原慶(=写真上)は、予選から確実にゲームメイクできるようになってエース格へ。全国3回戦では完封寸前の快投も演じた。断トツの成長株は右打ちの高橋嶺斗だった。昨秋は補欠だったが、今夏の全国では四番に座って1回戦から3試合連続で先制点をたたき出した。そして準々決勝では、初回に豪快な3ラン。絶対的な安定感を誇る前年王者、大阪・新家スターズの足元を揺るがしてみせた。
「まさかね、豊上の打者が初回からあんなに振ってくるとは思いませんでしたね」と新家・千代松剛史監督。両チームは交流しており、手の内は互いに知れている。髙野監督はだからこそ、冒頭から攻めに出たという。
「新家には四死球を出すようなピッチャーはいませんからね。だからどんどん打たせたんです」
4点先取した直後の2回に3点を返されると、次々と攻めのカードを切った。
八番・遊撃の石井岳のところで代打・志水一翔がヒットを放つ(=写真上)と、5年生の村田遊我を代走に(=写真下)。さらに九番・二塁の坪倉凛之丞にも代打を送った。
「すぐに1点差まで詰められちゃったので、迷わず勝負に出ました。2回と3回に3点ずつ取られたんですけど、取れるアウトを取れていれば、どっちの回も1点に抑えられていた。そういう意味では、試合内容には大いに不満が残りましたね」(髙野監督)
今大会は1回戦から声を荒げることが多かった指揮官は、体調不良と声枯れで競技3日目からマスクを着用。その発端は“楽しむ”ことの勘違いだったようだ。選手たちへ雷が落ちたのは、1回戦の試合前練習のことだった(=写真下)。
「これから全国大会で戦うぞ、という雰囲気じゃないよ、オマエたちは! 千葉の代表として恥ずかしい。オレたちに負けて泣いて帰っていったチームに申し訳ないよ!」
審判団も思わず止めに入るほどの剣幕だった。指導陣がそこまで激高したのは、トス打撃なのに空振りばかりで笑っている選手が複数いたから。弛緩したムードでスイッチオフのまま、試合に入ることが野球を楽しむことではないはず。伝え方には問題があったかもしれないが、伝えた内容はまったくの大正論ではなかったか。
髙野監督は歯に衣着せぬタイプ。大事な戦いには、一切の私情を持ち込まない勝負師でもある。「オレが何を言っても、ひいきになっちゃうから」と、レギュラークラスには起用に関して個々のフォローをまったくしないという。しかし、その心の奥には選手一人ひとりへの愛情であふれている。
昨秋の新人戦(県準V)では、背番号10のエースで四番だった加藤朝陽。この全国大会は全4試合でスタメン落ちして途中出場だったが、指揮官の愛が尽きたわけではもちろんない。
「エースで四番だった子が1年のうちに控えに回るなんて、少年野球でもそうそうないですよ。それほど、他の選手が上がってきたということでもあるし、全国大会は守れないと厳しい。加藤にはそれだけの足が足りてなかった…」
他人事のように喋る髙野監督は、正直な胸の内も吐露した。
「加藤はチームNo.1の野球小僧ですよ。オレにとっても一番可愛いし、あんなに純粋な野球少年はなかなかいない。全国でももっと投げさせてやりたいというのが、心の底にずっとありましたよ。でもね、なかなかストライクが入らない状態。全国は真剣勝負の実力の世界ですから」
加藤は最速で110㎞を超える右の本格派だ。上の写真でもわかるように、投球フォームは整っている。県予選の決勝では先制三塁打を放ったように、パンチ力もある。結果として全国で最後の登板となった準々決勝では、3回途中から救援して4失点も四死球は1。最終回は前年王者の四番から六番まで3人をピシャリと抑えてみせた。
加藤も加藤以外の6年生たちも、きっと野球人生はまだまだ続く。この学童最後の夢舞台が、それぞれの飛躍のきっかけや糧となることを願うばかり。筆者だけではなく、ある意味で不器用な指揮官もおそらく、同じ心持ちでいることだろう。
■第3試合
不動の四番が連続アーチ、平戸も主将が意地の一発
不動の四番・山本大智が大会3号、4号を連発(上)。4試合目で初登板の右サイド・佐伯禮甫が、5回から無失点で勝ちゲームを締めた(下)
[東京]2年連続5回目
不動パイレーツ
203200=7
002000=2
平戸イーグルス
[神奈川]2年ぶり2回目
【不】川本、佐伯-鎌瀬、唐木、鎌瀬、唐木
【平】市村、國生、和田、富田-岡田
本塁打/山本2(不)、林(平)
二塁打/鎌瀬、石田2、細谷、難波2(不)、國生(平)、菅井(不)、和田(平)
1回表、不動は二番・鎌瀬清正主将が左中間へエンタイトル二塁打(上)。そして四番・山本が先制2ランを放つ(下)
不動は3回表、一番・石田理汰郎(上)が二塁打(写真は4回の2本目)と敵失で生還。さらに三番・細谷直生(写真下左)のエンタイトル二塁打と、四番・山本の2打席連続アーチ(写真下右)で5対0とする
元五輪戦士の中村大伸監督(上)がハッパをかけた直後に平戸の反撃が始まった
3回裏、平戸は九番・横地樹(5年)が右前打(上)。そして前日の3回戦でサヨナラ犠飛を放っていた二番・林凛音主将がレフトへ2ランを放つ(下)
2点を返されてなお続くピンチで、不動は鎌瀬慎吾監督がひと呼吸入れる(上)。再開後は先発の川本貫太(下)が後続を断ち、4回2失点とゲームをつくった
平戸は4回に八番・國生陵太が右へ二塁打(上)も、無得点。6回表の守りは捕手・岡田行真の二盗阻止(下)で終えて、最後の攻撃へ
不動の二番手・佐伯(上)はラスト2回を打たせて取りながら、2安打無四球の無失点と好投。平戸の快進撃は準々決勝で止まった(下)
――Good Loser❷――
別れの夢舞台で恩師に捧げた、サヨナラ犠飛とホームラン
はやし・りおん林 凛音
[平戸6年]
47都道府県で2位の大激戦区。神奈川687チームの代表となった平戸イーグルスは、2年ぶり2回目の夢舞台で全国1勝を挙げると、さらに2つ勝ってベスト8まで進出した。
3回戦では過去に2連覇している名門・多賀少年野球クラブ(滋賀)にサヨナラ勝ち。1対1に追いつかれた直後の6回裏、一死一、三塁からセンターへ犠牲フライを放ったのが背番号10の林凛音だった。
「みんながつないでくれたチャンスだったし、どんどん攻めていかないと勝てないので。内野フライだけは打たないように、ストライクが来たら強い打球を打とうと思っていました」
3回戦は相手先頭打者の強烈な遊ゴロを捌いて始まり、チーム全体でもノーミスで守り切った
現代野球ではキーになる二番打者。サヨナラ打は自身にとって2番目の喜びで、最大の喜びは神奈川大会を制して全国出場を決めた瞬間だったという。
ところが、その晴れ舞台に来て打撃の調子が上がらない。1回戦は2ケタ得点で大勝も、林は2打数ノーヒット(2四球)。全国初ヒットは都合8打席目でようやく。2回戦の中前打だった。
中村大伸監督(=下写真)は1996年アトランタ五輪の日本代表で主将を務め、銀メダルに輝いている。それほどの野球人が、林の不調を見抜けぬはずがない。だが、二番・遊撃を托し続けてきた。そして3回戦での殊勲打を、自分のことのように喜ぶ姿が印象的だった。
「あそこ(林の打席)でスクイズはまったく考えなかったです。キャプテンがホントによく打ってくれました。このところずっと打ててなくて悩んでいたんですけど、これで吹っ切れて少しは良い形で明日の試合(準々決勝)に臨めるんじゃないかなと思います」
指揮官のその予言が的中した。準々決勝は初回から失点を重ねてワンサイドとなりかけたが、3回裏に林が2ランを放って流れを変えた。
「点差が開いていて(5点)、1人ずつランナーを貯めていかないといけない場面だったので、塁に出ることだけを意識しました」(林)
内角のスローボールに自然にバットが反応し、ジャストミートした白球は左翼線ギリギリで70mの特設フェンスの向こうへ(=下写真)。林にとって、スタジアムでのサク越えは初めてのことだったが、「まだ点差もあって負けてたので、あまり喜べませんでした」。
神奈川を制するのは至難だが、元五輪戦士の指揮官の下で務める主将も決して楽ではない。6年生たちに課されるハードルはどんどん引き上がり、過程においては手厳しい指導もある。
そういう中で、選手個々をフォローしてきたのが、背番号29の阿部将人ヘッドコーチ。息子とともに入団して15年、指導育成のサポートはもちろん、事務局としてもチームに不可欠な存在だ。しかし、新年度になって九州の福岡へ転勤。今夏の全国大会の開催地・東京へは単身で来ていた。
阿部コーチは時にはフィールドに背を向け、ベンチの選手たちに声を掛けていた
「阿部さんはボクたちが監督にすごく怒られたときとかに、いつも優しく丁寧に説明してくれるコーチでした」
主将としても、どれだけ助けられたことか。全国大会では試合前の円陣で、林は仲間たちに必ずこういう掛け声をしたという。
「阿部さんに少しでも長くユニフォームを着てもらえるように、勝つぞ!」
それも準々決勝で終わりを迎えると、誰も彼も涙、また涙に。昭和の元オリンピアンだけは、辛うじてベソをかかずに踏ん張ったという。
「全国大会のしかもベスト8まで連れてきてくれて、ありがとう!」
負けた悔しさと、学童最後の夏が終わってしまった寂しさに加え、去り行く恩師の言葉がまた涙を誘った。
「あと1勝でメダルを獲得できなかったのは悔しいけど、みんなで力を合わせてベスト8まで来れたので、良い思い出になった全国大会でした。常に緊張感がある中での戦いを経験できたので、自分の自信にしてこれからの野球に生かしていきたいと思います」(林)
153㎝43㎏の痩身にして、学童の時点では大きな指揮官を超える実績を築いた。これからどこまで伸びていくのか。自ら白球を追う限り、もう一人の恩師は遠く九州の地から温かく見守り続けてくれることだろう。